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コロナ離婚 [ヨガのこころ]

家に夫といる時間が増えて、イライラする
コロナ離婚しようかと思う。

そんなトピックが、テレビやネットで取り上げられてますね。

今朝は、テレビでそんな番組を見ながら、
「コミュニケーションの不足だよ~!」と私は大笑い。
コロナで在宅以前から、コミュニケーションが不足していたんだろう、と。

夫は、
「コミュニケーションなんて必要ない」
と、いつもながらの私が黒といえば、白のお返事。

しかし、送り出しに
「行ってらっしゃい。今日は美味しいお弁当だといいね~。」と言ったら

「行ってきます。今日も美味しいお弁当でしょ。」と言って出て行った。

こういうところが、キュンとさせてくれるんです。

愛しているとか、大好きとか言われた記憶もありませんが、
折々にこんなふうに
言われた後、うれしくて跳ね回りたくなるような言葉をくれる。

パートナーには、信頼と尊敬を忘れずに接する。
自分の怒りは、なんで起きているのかを冷静に分析をする。

怒りは、物事が自分が思った通りにならないと湧く感情。
それをヨガの師、マスター・スダカーから教わってからは、
怒りの感情は、湧いてはきても、分析ができるようになりました。

あなたの夫があなたをイラつかせているのではなくて
あなたの夫がとった行動が、私が求めているものと異なることに
怒りがわいているということ。

私は、演出家で、夫が俳優ならば、そこで「怒って」もいいんでしょうが、
夫は、私の作品ではない。夫は、私のものではない。
夫を縛り付けようとする縄は、実は自分を縛り上げてるものかも。

せっかく、出会って一緒に暮らしている人と
笑顔で向き合う毎日を!!


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私の右肩 [ヨガのこころ]

ヨガのインストラクターですのに
ものすごく肩回りが硬い私。

「なんじゃこれ?」
のバリバリの肩ですが、そんなもんだと思っていました。

先月、友人のボディサロン Body care salon Sukham
https://www.facebook.com/Body-care-salon-Sukham-114106310047620
で、施術してもらったときに
「これは、心だね」と言われたのですが。

最近になって、そうだね、あれだね、これだね。
と、心の癖が分かってきました。

ヨガの師、マスター・スダカーから
体の練習は、感情によって傷ついた体を傷つく前の状態に戻す効果はある
だけど、感情そのものへ気づきがなければ、感情は体を傷つけ続けると
教わり、
「すごく、体に悪いことしてるよ!!」と個人的に指摘もいただき

そうか~、ふ~ん。とは、思っていましたが、
ここのところ、毎日のように、この硬さは「あれ」
この硬さは「これ」と自分が抱え込んだ感情に気づきがやってきています。

今日は、右肩周り。

占星術師のリマーナすずさんに
「お母さんは、あなたが生まれたとき本当にうれしかったのよ」と、
言ってもらったことがあるのですが、母はとっても母な人でした。
手作りのおやつ、手作りの服、手作りの食事。
家もいつもきれいに掃除してあってそれが当たり前。
でも、私の行動が、母の理想に沿わないと、言葉がきつかった~。

その私の母も自分の母(私の祖母)に、めっちゃ追い込まれてた人。

祖母も母も私も愛し方を誰も知らなかったんです。
愛し方を知らない!って、ヨガの師に言われるまで
私、まったく気づいていませんでしたが、
私、愛し方を全然、分かってませんでした!!

だけど、愛されたいという気持ちは持っている。
母に叱られないため、顔色を伺う。
母を怒らせないため、自分のしたいことを我慢する。
それでも、私は、我慢しきれず、母の制御下からは、はみだしまくってましたし、
学校、職場、結婚と母の目も手も届かない場所に逃げ出し続けました。

そうそう、右肩に乗っかっていた感情は、
「役に立たないと、愛されない」という思い込みでした。

「言われた通りにしないと、愛されない」
「言われた通りにしないから、愛されない」
「愛されたいけど、愛されない」
「母の愛は、私を縛り付けるものですごく苦しい」

冬の夜、ホットカーペットの上に弟と私と母
三人がひざ掛けをかけて、座り、母が絵本を読んでくれた。

そんな思い出すとほうっと心が温かくなる思い出もあるのに
否定的な言葉もいっぱいかけてくれた母
私もまた、母に否定的な言葉をいっぱいかけた。

それが、まだ、私の肩にぐっと食い込んでいるようです。
この4月、母の7回忌を迎えるのに、今もなお。

でもね、私の肩周りの感情に気づけたから
少しずつ食い込んだ思い込みを
手放していこうと思います。

母から、与えられたかった~って、42歳で泣いても仕方ない。
これは、終わった過去だよね、と。
岩のようにガチガチなのをほぐしていって、砂にして、水に流そう。

愛は、与えることに苦痛がなく、見返りを求めないから、
愛を与えられた側もまったく苦しくない。

そうです。

愛は、自由で、結果を求めて条件を提示して与えるものでもない。

そうです。

私にとって、「その人」の行動が不快。
なので、あって、「あなたのために言ってるのよ!」は、
ただ自分の価値観を押し付けているにすぎず、
その言葉には、「あなたがそういう行動をとると、私が困るのよ」
という言葉が省略されている。

私が困るから、という理由が隠れた言葉は、正論でも届かない。

だって、愛から発した言葉じゃないもん。

あなたの健康が、害されると私がとても辛い。
あなたが病気になったら、もっとあの時にあなたの生活習慣を正せたのじゃないか、
と自分を責めることになりそうで、いやだ。

と、思っているので、言います。
「早く寝て欲しい」「スマホ見すぎじゃない?」「休肝日作ったほうがいいよ」

愛からじゃないかもしれないけれど、嘘はないです。

愛からの言葉は、すぐには出ない。練習が必要。だって、愛を習いたてだから。
でも、「嘘のない」言葉なら、出せる。

私の肩をガチガチにさせている
「役に立たないと愛されない」の思い込みを手放して、
愛せる人になろうと思います。

ふわふわの肩回りが、きっといつか取り戻せる。
生まれたときの状態に戻したい。
この体は、借り物だから。

ヨガは、本当に奥深く、そして、とても身近です。
自分のことを見つめる科学という感じ。
「そのままのあなたでいいのよ~」では、ない。
あのままの私だったら、このままの私だったら!
ぞっとします。

ヨガは、よりよく、変わっていく。というか、
生きてきて自分に纏ってしまった要らないものを捨てていく
それが、ヨガなのだと思ってます。


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出逢えた幸せ [ヨガのこころ]

2015年にワナカムヨガスクールの指導者養成講座
ヴィジョンオブヨガを受講してから4年。
マスター・スダカーに師事し、ヨガを学んでいます。

今、本物の「ヨガ」に出逢っています。
80歳を過ぎた方にもレッスンをさせていただける、
6歳の子にもレッスンをさせていただける
それも、迷いなく。

そして、私自身もとても元気にいられている。
42歳、この1年、北海道から九州の博多まで
ヨガの師の学びを得たくて、飛行機、電車、バスで移動。
移動の翌日の朝からもまた仕事ができる元気さ。
これももちろん、ヨガの恩恵。

80歳を過ぎた方が、レッスンで
生まれて初めて自分の手がこんなに温かくなって
本当に私の手かしらと、ほっぺに当ててみた。
「ほんまにぬくなって。」
とおっしゃっているのを聞くことができた。

ヨガは、自分が自分の体と話し合う。
マッサージと違う。外からの医療行為とも違う。
自分の意志で動く。そして、自分の動いた結果も
誰の物でもなく、自分のもの。

私のヨガの師は、まるでコンサートの指揮者のようにリードをとっていく。
私たちは、リードに任せて、完璧には動けなくても自分の体と向き合う時間を楽しめる。
自分の心に気付いて涙したりもする。
100人の会場でも2000人の参加者のいた平安神宮でも
参加した一人一人の心と体に届く、ヨガの智慧を惜しげなく伝えて下さる。
本当に惜しみなく。

そんな師の下で学び、師の伝えてくださるヨガを
自分が日常で実践していれば、年をとっていくことへの恐怖はない。
外側からの情報で、自分を縛ることもない。
自由に背筋を伸ばして歩いて行ける。

今年もあとわずか。私と出逢ってくださった人すべてに心から感謝して、
私の最善を尽くしてこれたのか?という問いには、もうちょっとできました。
と、いう返事になってしまうけれど、そこはのびしろとして、来年も学んでいきます。

「学校が好きね~」と、母に言われた言葉通り。
42歳ですが、現役の学生です。生涯、ヨガを学び続けます。
だって、出逢えているから。今、自分が手にしているすべてが愛おしい。
もう少し、もうちょっとずつでも、師を見習って与えられる人になる。
そんなこれからの日々にしようと思います。

「本当に、ぬくなって。」と言ってくださった声が
きっと、ずっと私の心を温めてくれる。ああ、これが師に言われた。
するべきことをしたときに味わえる「蜜の味」なんだな~。

ヨガのインストラクターを仕事にしている方、
マスター・スダカーに出逢ってください。
思いもよらない「蜜の味」を味わうことができます。
それよりも何よりも、自分のことが好きになれます。

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ワナカムヨガスクールは学校です。
ずっと学び続けることができます。

https://booking.vanakkamyogaschool.com/


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自分の価値観 [ヨガのこころ]

今、ヨガの練習法のひとつ、浄化法を練習しています。
これがですね。すごいです。
頭の中が、どんだけ「不必要なもの」でいっぱいかと
びっくりする。

今朝は、
「ドラマティックに生きたい」という
自分の思いがあったことに気がついてびっくりした。
感情をジェットコースターのようにアップダウンだせるのは、
そういう思いが私の中にあったからだった!!
もう、それ別に、要らない。。。

先々週は、
「セックスは、最良の愛情の表現ではない」
という言葉を突然思いついて、
逆に、私の中で、それを最良の愛情表現と思っていた部分がある!
ことに気がついて、これまたびっくりした。
その概念のせいで、自分を傷つけることが多々あったし、
たぶん、その概念に基づいて発言して、
いろんな人を傷つけもしてきたと思います。
本当にごめんなさい。

自分が持っている価値観は、
自分自身が思いついたものというよりは、
生まれ育っていく中で、身近な家族や周囲、地域、国で
常識とされていること。
本、テレビ、いまならネットで、自分が目にし、耳にして
自分の中に貯めていったこと。
そういうもので作られていると思うのです。

だから、不要なものや、自分に適さないものも
だって、世界が「それがいい」って言ってるから
そんな風に自分に植え付けていったのではないかしら。

もっと、シンプルに
美味しく食べて、トイレ行くのを我慢せず、日中眠くならないぐらい十分に寝て
自分が楽しいことを楽しんで、するべきことを楽しんで、生きてることを楽しんで
いたら、いいんじゃなかろうか。

誰かのために微笑むのではなくて、
誰も見ていないけど、自分の顔がす~っと微笑む
そんな時間がたくさんあっていいんじゃないか。

そんなことを思った。
そんなことを誰かに伝えたいと思った。

私、今、静かに幸せですよって、
このブログをさんざん泣き散らかして書いてた
以前の自分に、伝えたいのかもしれません。

これからの人生もますます、楽しみますよ~!!
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ヨガ、効能あり [ヨガのこころ]

昨晩のこと
夕食後に夫は、ゴロゴロとソファで横になりながら
テレビを見つつ、スマホで、ゲーム

私は、ちょっとスマホでインスタとか見てたら
もう10時前!!毎朝4時半に起きているので
10時台には寝たい。
台所は、夕食作って食べたままの状態。

お風呂のスイッチを入れて、片づけをしながら
「なんで、私は仕事と家事。夫は仕事が終わったら何もしない?」
と、私って悲劇のヒロイン?スイッチが入りかけ。
このもやもやをため込んでおくのはよくないわ。と、
台所仕事を終えたら、夫のところへ
「私は、仕事と家事とで労働時間が長い。あなたは、仕事から戻れば何もしない。」
「たまには、私の代わりに食器を洗って、お米を研いでもいいんじゃないかと思う」
と、告げてから、お風呂へ

で、お風呂でまた考えた。
なぜ、ふと台所の汚れ物を前に悲しくなったのか。
「台所仕事は面倒で、やりなくないこと」と、思ってるからだ~!!という気付き。

「やることを楽しみなさい。大好きなことをやりなさい」
「Do what you love, love what you do」
ヨガの師、マスター・スダカーから何度となく言ってもらっていること。

お風呂から上がって、夫へ
「私が楽しんでやってないから、あなたへの不満になったんだと思う。」
「私が、絶対こんな楽しいこと、ゆずってあげない」とか
「楽しくて楽しくて仕方な~い」とかって夕食の片づけをすればいいだけのことだった。
と、自分の気付きをシェアしたところ、
「確かにね、楽しくて仕方なさそうにやってたら、やりたいって言うかも」と、返事をもらった。

さっきまで、私ばっかり、家事やって時間なくて、早く寝たいのに。。。
と、グジグジさみしかった気持ちは、どこかへ。
私、まだまだ甘いな。こんなトラップに飲み込まれそうになって。
早く、気がついてよかった~、と。ニコニコで、お風呂上りのほかほかでお布団に入れました。

これもまた、「ヨガ」の効能。

嫌な気持ちを引きずって、眠るのか、
のびしろいっぱいあるな~と、これからの自分の成長を楽しみに眠るのか。

どっちが、健康に良さそうか、考えなくてもわかりますよね。
嫌な気持ちの整理、ささっとできるようになってよかった。
悲劇のヒロインごっこは、もう飽き飽き。

「そして、幸せに暮らしました」な、毎日を。
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自分を大事にすること [ヨガのこころ]

あれ?なんだか自分が満たされてる気がする。
気持ちがササクレナイ。

あ~、やらかした。ということがあっても
こんな私、ダメすぎる。
とか、ならない。
いや、考えの浅さを反省はします。

身内に起きる健康上の問題も
「どうか、いい方向へいきますように」
と、祈るだけで、落ち込まない。

朝のプープーも時間をかけてでも
食事前に済ませる。ようになった。

で、ふっと気がついた。

私、最近、自分が食べるものを大事に作ってる。ということに。
「食べる」ということは、自分を維持し、作ること。
そんなのわかっている、知っている。と、思ってた。

でも、この4月から5月にかけて10日間
朝から晩まで、
ヨガの師、マスター・スダカーから
大先輩のまどかさんから、
ヨガを学ぶ仲間たちと
どっぷりヨガを味わわせてもらって

食事についても課題をいただき、
自分でも考え、仲間の意見を聞きながらも考えて
実践を始めてみて、1週間、2週間がすぎて

自分を作る食事が、
「適当でいいや」とか、「さっさと手早く作ればいいや」とか
で作ったものじゃなく、
同じ献立でも
「丁寧に切った」り、
丁寧に手入れした鉄のフライパンで作ったり
調味料変えたり、揚げたり
毎回が、「美味しい」食事になった。

一緒に食べる人がいてもいなくても。

そしたら、自分の中に「自分が大切」という思いが
満ちてきたみたいに感じるのです。

すごく大事なことなのに、
どうして忘れちゃうかしら、私。

そしたら、天国の母のことも思い出しました。
家族のためにいつもご飯を作ってくれていた母。
そして、今、私が東京に滞在すると、私のために食事を作ってくれる父。

二人にもらった体。
有難いものなのに、ついついそこにいつもあるからと
ぞんざいに扱っていたな~。
だから、私の中にぞんざいな部分がずーっとあって
何かの折に、それは「素」の自分として外に出てくる。

私を大事に思う気持ち。
それが、小さく縮こまらないように
自分の食事を作るときの気持ちをこのまま維持しよう。

自分を大事にすることのやり方が一つ、手に入れられた気がします。

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誰もがお母さんから産まれてきた [ヨガのこころ]

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あけましておめでとうございます。
旧暦でだったら、まだご挨拶してもよいでしょうか。
今年もどうぞ、よろしくお願い致します。

昨年12月から、1月、2月とだいぶと濃い時間をすごしておりました。
この週末も京都でヨガの師、マスタースダカーのワークショップに継続学習の時間を2日間
贅沢に体験させていただいて、今日帰ってきました。

お母さんがいない人は、ない。
母親という産み出してくれた存在がない人はいない。

私も母の病気に打ちのめされて、このブログでも
いろいろ書いてきましたが、今はただただ感謝しています。
そして、どれほどに愛情をもらっていたか、も感じています。

母親、父親ともに、
赤ちゃんだった私が
笑ったら、喜び
立てば、喜び、
話せば、喜び
してきた。
アルバムにも証拠写真が残っています。

私は、いるだけでもう周りを笑顔にする存在だった。

赤ちゃんがいると、それだけで顔がほころびますよね。
泣いているのをみれば、どうにか笑顔にしたくなる。

そういう存在だったの私。
今もそういられているだろうか。

赤ちゃんは、誰かを笑顔にしたくて笑顔なわけじゃなく、
自分が内側からあふれてくる喜びで笑顔なんですよね。
だから、惹きつけられるし、その笑顔をみたくなる。

顔に貼り付けたような笑顔でいないだろうか?
そもそも、笑顔だろうか?

私の師は、「笑顔で」とアドバイスをくれます。
太ももが床と並行になって、上体は起きているチェアポーズ
に、なろうと、正しい形になろうと努力をしているとき
ついつい、顔が歪みがち。
でも、その瞬間は、しんどいけれど終わる。
2000年チェアポーズをし続けるわけじゃない。
じゃあ、笑顔で、楽しみなさい。と。

何の計算もない笑顔で。

大人でも笑顔は感染します。
ヨガの学びの場には、笑顔があふれている。
そのままを私は日常に家に印南に持ち帰る。
そうして、Aコープに行く。
Aコープでも笑顔。

で、いられているかしら。

誰もがお母さんから産まれてきていて
来たところは一緒。
笑顔をずっと失わずにいられる人と
一度も笑顔なんてなったことがない人と
テレビでお笑いを見てるときだけ笑ってる人と

どうして、違いが出てくるのでしょう。

始まりは一緒だった。

「笑顔で」と、レッスンの時に声をかけると
「なんで笑顔でやらなくちゃいけないの、しんどいのに」と
返事をされたことがあります。

とにかく、動きたいの!と「楽しくないけど、もっとやりたい」
と、言われたこともあります。

回数ができればいい、形になれればいい、真剣にやりたい!!

わかります。私もそうだったから。

でも、楽しんで、笑顔でいて欲しいのです。
どんな時も!!

泣いてる赤ちゃんをあやしたくなるでしょう?
それと同じ。

馬鹿にしているわけでもないのです。
いい顔でいて欲しいのです。

師が、結果を求めずに、私たちに「ヨガ」を教え続けて下さる中で
やっとちょっと、そういう気持ちがわかってきたような気がする私。

「こういうことかもな」って考え始めたことだけでも
きっと、世界が変わりだす。

私も誰もがお母さんから産まれてきて
私も誰もが赤ちゃんだった。

そして、きっと、ただ「微笑んで」いたんです。
そうやって、始まった人生をそのまま「微笑んで」過ごし続けられる
それが、ヨガの智慧。

学べている幸せを実践にうつして、
赤ちゃんのような「微笑み」で日々をすごそう。

この世界は、視点次第でパラダイス!!
楽しみましょう!生まれてこれて、生きているのだから。




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自分のために [ヨガのこころ]

東京での学びの時間を2週に渡って
持たせていただきました。

そして、いろいろ考えた。
ひとつは、自分の考えてる事は
本当に自分が考えたことなの?ってこと。

本から、テレビから、
マンガから、曲から
人から受けとった思考、アイデアなんじゃないか?

バナナの皮が落ちていれば滑って転ぶ。とかね。

定番、お約束、セオリー
自分で考えたことって実は、ないんじゃない?

自分で体験して経験から考えたことあるかしら?

父とおばが、2人して
コーヒーにバナナが良いらしい!と
私に言ってきました。
テレビで言ってたから、と。

テレビは言いっぱなしなのに
みんな結構、信じますよね。

私もいつも言っています。
ヨガは、すごく体にも心にも良いよ。
ヨガで健康になるよ。

それを私は信じている。
自分で体験して経験してきた。

風邪ひく回数、めっちゃ減ったもん。
周囲の人も体から痛みを手放してるもん。

だけれども、本当のヨガの蜜の味を
私はまだまだ味わっていないのです。
自分のためにヨガと向き合う時間が
十分でないから。

だから、まだほめ言葉を欲しがる。
言われた言葉を気にする。

人からの評価をヨガをしていたら
求めないはずなのに。

師であるマスター・スダカーから
ヨガの智慧をたくさんたくさん手渡されているのに
継続的にそれらを実行していないから。

私の言葉と行動がまだ一致していない。

なんと、もったいないこと。

知ってるのに、やってない。

間違いをやらかし、
更にそれを誤魔化そうと馬鹿なことをして
それでもなお、二度と繰り返さないならば、と
学ぶ場に居させてもらえている今こそ
私の硬いココナツのようなマインドも
インドでココナツを割ることが出来たように
割ろうじゃないか!

今日が、ただの決意表明の日でなく
ターニングポイントになるように
するべきことをしようと思います。

自分のために!

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伝わる [ヨガのこころ]

東京で私の敬愛するヨガの師匠マスター・スダカーの
The Practiceに参加してきました。
その前には、初めてのインドの旅もあり。
その時の感動もお伝えしたいのですが、今日は今日の感動を。

3日間のThe Practice後、
今日は自宅で3本のレッスンをさせていただきました。

「先生の質は、生徒さんに伝わるよ。」
「自分の体をまずきちんとケアしなさい。
自分の体の癖は、生徒さんの痛みも作ってしまうから。」

いつもいつも、マスターから
そう言葉をかけてもらっているのに
「はーい」と、返事だけはよくても
自分がキツイと感じる練習は言い訳を並べてさぼりがちな私。

「だって、出来ないんだもん」

出来ないことは、悪いことじゃない。
わからないことも悪いことじゃない。
ただ、出来ない、わからない。そのことを楽しみなさい。

とも、いつもいつも言ってくれるマスターの言葉に
やっぱり、「はーい」と言って、その時は感動して
言葉の意味もわかったつもりになりながらも

やっぱり、キツイことから逃げがちな私。

だけど、今回の3日間は、違いました。
頭がクリア。そして、練習が楽しい。
キツイこともシンドイこともできないこともわからないことも
楽しい楽しい。

わかったことも気がついたことも、気づけないことも
いろんなことがあるけれど、リラックスがちょっとやってきた。

そして、自分の練習をするのも楽しい。
身体との対話が楽しい。
話しかけると背骨から、筋肉から、関節から答えが返ってくる。

自分が力んで、不要に入れていた力を抜いたら
言葉が通じないと思っていた身体の声がちょびっと聞こえてきた。

そして、その私の楽しいが、生徒さんに伝わっていく。
今日のレッスンは、どのクラスもいつもとやっていることに
大きな差はないのに、みんなの「顔」を注意する回数が減った。
いや、「笑顔~」という指示を出す必要がなかった。
みんな菩薩のように穏やかな顔で、身体と対話を楽しんでくれた。

汗はかくし、痛気持ちいい感覚もある。
でも、眉間にしわが寄らず、首に筋が寄らず、息が止まらずに動ける。

私は、ずっと笑いっぱなし。
楽しくて楽しくて仕方ない。
みんなの顔がきれいで、動きに力みがなくて
「きれい~」「美しい~」しか言ってない。

レッスン後、The Practiceの課題の練習を1人でやる。
回数をこなせばいいじゃないか!とか
思ってない自分がいて、力強さが足りないから、
ひゃ~、もう動けないってとこがたくさんあるんだけども。
楽しい。

1分キープがあっという間にできる。
今までは、タイマーを見て、ヒーヒー言ってたのに、
タイマーをセットせずに時計をちらっとチェックすると
1分経ってて驚く。

自分との対話が少しできた。本当に少しだけど、ものすごい楽しくて。
その楽しさが自分の目の前の人に伝わるのを今日は目の当たりにして。

それだけ、自分には責任があるんだ。と、いうことも改めて感じた。

ネガティブな私を押し付けていたこともあっただろう。
私のフィルターをかけて、変な味付けのものを手渡したこともあったろう。

今日からは、ワクワクだけを。リラックスを。
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いつも、キツイワークになると、すねていた生徒さんが
今日は、全くすねず、クラスの後半には、無表情になる顔が最後までニコニコで。
それに自分でも気がついて、「今日はいつもと違う!」「なんかすごいいい!」と
感激して帰ってくれた。

「なんかすごいいい」がヨガ。
きついけど、頑張ると身体が楽になるから、しんどいけど頑張る!
そんな私の特性を手渡していて、ごめんなさい。

今日からは、「楽しくて、ワクワクで、ちょっとキツイやシンドイもあるけど
力まなければ、ふわ~っと動けて、やってるときも終わってからもなんかいい」
ヨガクラスを提供していきます。

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そして、私自身のケアも楽しんでリラックスして続けていく。
やっとだ~。よかった。41歳を迎え、何よりのギフト。

ようやく、ヨガの練習生になれた気がします。

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幸せは自分で気が付くものなんじゃないか [ヨガのこころ]

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人生には、無駄なことなどひとつもない。
全部がつながって、今があるのだなと思います。

苦しかった日々も、ため息ばかりだった日も、
疑っていた日々も、責めた日もあったけれども

おばあちゃんに「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と
言われてきたし、前のめりに倒れるようにギリギリに追い込んで
そんな気持ちで生きてきた時間もあったけれど、

今の心境で「あの場」にいたらたぶん、だいぶ違う。

私が今、ここにいるのは、あなたのため
あなたがここにいるのは、私のため

きっと、全部、どの人ともつながっているのだと思うのです。

だから、どうか幸せに生きてください。

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