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人の尊厳ということ [介護]

東京から帰ってきました。

母が先月から病院へ入院しまして、
いつもは帰京すると母に張り付きになるのですが、
今回は、自由になる時間がだいぶ持てたので
友人と会ったり、4年ぶりにお墓参りに行ってみたりもしてきました。
それはとっても楽しく、うれしかった。

母は去年の8月にもM病院で「認知症」と診断を受け、
その病院からの投薬で、ほぼ寝っぱなしになるような状態で
起きているときもふらつきがあって転んで前歯を折ったりしていたのですが、

その後、10月から往診のがん患者の終末期在宅医療を専門にしているクリニックに
かかりつけを変更し、そのクリニックの精神科のDrから「強迫症」であって
「認知症」ではないですと、診断されていましたが

投薬を続けてみるも効果があるなという手応えもなく
3月、4月と私が電話をかけてもまともに会話にならない状態で
5月の半ばに自分から「入院したい」と訴えたので
緊急でK病院へ入院し、その後近所のT病院へ転院しました。
T病院での検査の結果は

前頭側頭型認知症

症状は、母の状態そのもの。

T病院は急性期医療の病院なので、3ヶ月以上入院ができません。
そこを退院して家で、家族でこの状態の母を看るのは無理。
T病院を退院後は、母には施設か、長期療養型の病院へ入ってもらうことにしました。

母は今、入院してから転倒を2度したため、安全措置として
家族や看護師がそばにいないときは、拘束といって、ベッドから降りられないように
腰のベルトで行動を制限されています。

母を見舞っている間、まともに会話ができるのは、4時間いても3分くらい。
それは、家にいても同じようなものでした。
でも、家だと私がイライラしてしまって、それに気づきもしなかった。

飼っていた犬のことを話して「かわいかったね」とか、
病院から見える新宿を見ながら、「お母さん、昔は新宿の学校へ行ってたんでしょ」
「そうよ。楽しかった。あの頃は若かった」とかのやりとりはできましたが、

それ以外は、ずーっと繰り返し母がつぶやき続けるだけ。
「なんにもできなくなった」とか
「死ぬのを待つだけ」とか
「どうしよう」とか
「大馬鹿やろうだよ、私は」とか
「このままずーっと何年も何百年も待ってるだけ」とか
「大変なことをしちゃった」とか

家にいるときは、自分でストーマの装具の準備をしてお風呂に入っていましたが
病院ではお風呂に入れてもらうのに看護師さん総出。
母が大騒ぎをして、抵抗するからです。
お風呂場から「殺されるー。死んじゃうよー。」と叫ぶ声が続きました。

母と犬を一緒にすると犬を飼っていない人にはなんじゃと思われるでしょうが、
うちの愛犬が晩年、痴呆で、顔から生気がなくなって、
ぼやーっとした顔、表情のない顔になっていって、
食べること以外、触れ合うことのやりとりにも反応がなくなって、
お風呂に入れると断末魔のように叫んでいたりして。

なんだか似ていると思いました。

母には育ててもらって、ずっと面倒を看てもらってきたのに
母の面倒を最後まで看ずに、施設へお願いすることに申し訳ない気持ちもありますし、
「認知症」と言われると、「強迫症」と診断されたときよりも
治らないということで、母への情けないような気持ちは薄くなりますし、
「かわいそうだな」という気持ちもでてきますが、

それでも、あの状態の母を看続けることができるのかと言われれば、
私にはできません。
とても残酷なことだけど。期限がないから。

ひどい娘ですね。

叔母が、母の今後の病院探しを手伝ってくれて、
訪ねたJ病院のワーカーさんに「もう家族はできる限りやったんです」と、
訴えてくれましたが、私は遠くに住んでいる分、びっちりと母に振り回された父や弟家族ほど
くたびれきっていない感じで、なんだか申し訳ない気分でした。

それに、ずっとべったり一緒にいて看ているわけじゃないからこそ、
「かわいそうに」という言葉も出てくるのだと思います。

私は、そんなに辛抱強く、人を看れるとは思わない。
母が病院にいて、見舞っている間だけだから、
ストーマの世話も優しい言葉がけでできるのでしょうし、
実際、母が家にいたときは、こんな顔を母に向けていなかったなと
病院で何度も思いました。

家に母といるときは、私、母のこと、すごい顔してみてたと思う。。

愛犬だって、オムツを替えて、ごはんをやってという世話をやくだけで
うろうろ徘徊しているのを見ていられなくて、犬が1階を歩き回っている中、
私は2階に行ってたりしてましたから。

私には、24時間母を看続けることはできません。

でもさ、
母が料理を作ってくれて、洗濯をしてくれて、洋裁や和裁をしてくれて
そういう環境で育ってきたから、その背景があって私がいるのは確かで。
母が以前の母ではなくなっているけれど、私の中にも母がいる。

私は、母のように自分が自分でいられなくなる最後は送りたくないけれども。。。

今は、母が楽になれたらいいのにと思ってしまいます。
混乱して、怖がっている、そいういう状態を脱せれたらいいのにと。
それを薬でしようとすると、ひたすら眠り続けるような状態になって
歩いたりすることができなくなると言われました。

犬のときもそう思ったけれども、尊厳てなんだろうとか思っちゃう。
どんな状態でも生きていたらシアワセなことなんだろうかって。

「死もまた救い」っていう台詞をドラマのJINの中で聞いてから
たまにそれが頭をよぎります。

あと「高瀬舟」とか。

なるようにしかならないと思うし、
流れるようにしか流れないと思うし、
人生は思い通りにならないと思うけど

私の心が整理できるのはまだ少し先になりそうです。



最近まったくヨガブログになってないです。
私の吐き出しブログだわ。

母を看ることより、優先したいものがある私の人生なんだから
私は私の人生を大事にしなくちゃな。
今も大事にしていますが。甘やかしじゃなく、大事にしないとな。

と、いう結論で筋トレをしようと思います。
腕立て伏せができるようになるのはいつのことになるか。

でもね!腕に筋肉ついてきたおかげで、今日も冷房のきついスーパーで
レイノー症状がでないで買い物ができました。

さあ、これからはヨガブログに戻していきます。お付き合い、ありがとうございました。

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コメント 2

ひすい

お母様、痴呆でいらしたんですね!なんか納得

いくら家族でも介護には限界があると思います
頼れるサービスは利用しましょう!
お母様、ご自身で入りたいって言ってくださってよかったですよね
嫌なのに入らせるとなったら、これまた大変ですから

わたしの母方の祖父母は寝たきりになってから特養に預けられて、祖父は16年前に亡くなりましたけど、その頃からずっと祖母は寝たきりのままです
そんな生き方があるってことが納得いかなくて、わたしも人の尊厳ということを随分考えました
わたしも、絶対自分は寝たきりになるのはごめんだとも思いますし
そして父方の祖母も、一度体調を崩して以来寝たきりになり、もう会話はできません
そうなってから初めて面会したときは、ショックでしたけどね…

お母様と話が少しでもできるうちに、できるだけお話ししてくださいね




by ひすい (2011-06-15 20:54) 

cobachi

ひすいさんへ

コメントしにくい記事にコメント、ありがとうございます。
そうなんです。なんか、そんな状態で生きることの残酷さを思っちゃいます。

どうなんでしょうね。
母の場合、施設や病院をさがしている段階ですが
「家に帰りたい」とも言い続けているので切ないです。
自分にも父にも仕方ないと言い聞かせているところです。
by cobachi (2011-06-19 14:56) 

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