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私は悪くない [ヨガのこころ]

青と白、写真、父の日、Instagram投稿.png

過去に、やってしまったこと
自分が悪かった
だから、私には「幸せ」になる資格はない

私は、苦しむべきだ
だって、あんないひどいことをした
だって、あんな言葉で傷つけた

この苦しい状況は、あの報い

そんな風に思ったこと、全く一度もない!!
人は、すごいな~

私は、いっぱいいっぱい抱えていまして
こう書きながらも、あれやこれが思い出されて
ゾクゾクしますが

「私が今、こうしているけれど、
自分の足元には、死体が累々とあるんですよ」
って、学生時代に、臨床心理学の先生が話ていたような
そんな記憶があります(捏造記憶かもしれません)

しかしながら、
ヨガは過去は問わないんです
そして、
「私」も悪いことなど一切したことがないんです

「私」のあのときの「態度」はよくなかった
とか、
「私」が言った「あの言葉」は悪かった
でも、
「私」は悪くない

なんという!!ことでしょう!!
「私」は、悪くないんだよ
だから、過去に「私」の「間違った考え方」から発した言葉や行動があっても
「私」にその報いが来るわけないんです
「私」じゃなくて、「間違った考え方」が悪かったの

「私」がすべきは、
同じ間違いを起こさないよう行動や言葉に気づきを持つこと

父と朝、15分から30分ぐらいの短い時間
オンラインでヨガの練習をしています
うまく、言葉が伝わらずに「イラっと」することもある
そして、父が私に字を教えているとき、
箸の持ち方を教えているとき、算数を教えているとき、
「イラっと」したんだろうな~って思ったり

「イラっと」を短時間で手放す
「イラっと」を相手にぶつけない
声が大きくなっちゃうことも
ついつい、「さっきも言ったけど」と
嫌味を言っちゃうことも
まだゼロではないですが、

もう1か月以上、
お互いにお互いをあきらめずに
続いています

頭をはたかれながら
大きな声だされながら
ビクッとしながら
父に指導を受けていた幼い頃の
強烈な思い出があるもんで

父のことは、長年、好きではありませんでした
でも、父が悪かったんじゃなくて
父の「教え方」が悪く、「忍耐力」がないのが悪く
そもそも子育てが初めてなんだから、
いろいろが「悪く」っても仕方なかった

ヨガのおかげで、
「父」本人に対してのわだかまりは無くなって
あちゃ~って思うことは、ありますけれど
「父」を毛嫌いしたい気持ちは湧いてこなくなりました

そして、きっと、たぶん
私が悪くなくて、父も悪くないように
誰も悪くないんでしょう

その視点を持てたなら、
他人の「悪業」を声を荒げて指摘し、追及するのは、
違うなって思える
愛があるならば、誰かの「悪い行動」を指摘したら、
改善案も提示するはず

悪い行動をした人のその「人」そのものを
コテンパンに叩いたところで、どうなるのか?
「この者を打ち据えられる、何も罪を犯したことのない者」なんて
どこにもいない

「私」は悪くない=「あなた」も悪くない それが大前提
ただ、私の考え方が起こした間違いには気づいて、正して、繰り返さないこと

ヨガって、本当にすごい
臨床心理学が面白い!と学んだことがありましたが、
もっと、シンプルにもっともっと昔から、ヨガは人間を科学していた
正しく、それが伝わったらば、世界はものすごく居心地がいい場所になると思います

ワナカムヨガスクールで、ヨガを
マスター・スダカーから学んでいます

自分に対して、興味があるならば、一緒にヨガを学びませんか?



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