新しい日々 [ヨガのこころ]
新年、あけましておめでとうございます。
幼稚園児の姪が、「昔は、好きだった」なんて、
新年会のすき焼きを食べながら、具の好みを話してくれて
この子の昔って、何年前のことだろうと思いました。
さて、2018年は、平成30年。
今年は、いろんな書類の平成表記もわかりやすくて助かる。
去年の12月に毎週のように参加したワナカムヨガスクールの
ワークショップのおかげで、今まで学んできたことが
ようやくちょっとわかってきたような、自分の中に落ち着いてきたような
そんな気がしています。
「愛する」って何?
「愛」って何?
というのが、ずーっとわからなくて考えてたことだったのだけれど
自分ひとりで考えてても、やっぱりわからず。
だから、耳にし、目にしたことから「愛」への答えを
拾って来たのだけれど、「本物」と「本物らしいもの」は
やっぱり違う。
ドリカムの「大阪LOVER」の主人公の女の子に、自分を重ねて
身もだえしていたこともあったのですが、今、この曲を聞くと、
1人で、感情ジェットコースターにのって、妄想を膨らませていた
イタイ自分を諭しに行きたくなる。
年末、お正月番組の合間に再放送している「逃げ恥」も
大好きだったドラマですが、今は「妄想しないで、直接対話しなよ~」と
思う。でも、たぶん、そのジレジレ感が楽しいんですよね。ドラマも小説も曲も。
人生は、たぶん、とてもシンプルに日々を重ねていける。
でも、ドラマや小説のように、いろんな人が自分の思いと相手の思いとを
妄想して、膨らませて、苦しんだり、悩んだりという味付けをしている。
昨日、スーパーで、おばあちゃんが孫に
「欲しいって言ったり、要らないって言ったり!どっちやの!」
と、叫んでるのを聞いて、またふいに思いました。
さっきは、欲しいと思ったし、今は要らないって思ったんだよねって。
人生は変化し続ける。すべてのものは、変わる。それは真実。
「なんで?」「どうして?」と、疑問を持つことがいいことである。
と、言われてきたから、いろんなことに理由が欲しくなる。
でも、望んでいた理由じゃなければ苦しくなるし、それが自分でさえそうなのに
ほかの人の行動に全部「理由」を求めていたらば、身動き取れなくなる。
ほかの人の行動に
「愛しているなら、こうして」
「思いやりがあるなら、こうしてくれるはず」
「私の望む通りに行動してくれないのは、愛してないからでしょ!」
と、叫んでみても、ね~。
私の想定の範囲は、こうです。と、大きく書き出しているわけでもなく、
ほんとの希望を伝えることをしなかったら、誰にもわかるはずがない。
言わなくてもわかってよ!と、いうのは、最大のワガママなんでしょう。
紅白で、私の好きな曲、「The Rose」が歌われてて、
久しぶりに歌詞を見て、ジーンときて、
ああ、この歌もまた、私が聞きたいように聞いてきたねと、思ったのでした。
愛は、愛するということは
その人の為すことを見守れるってこと。
私は、年末に植えた球根を、気になるからといって、
一時間ごとに掘り返して、根の張り方をチェックしたりしない。
春になったら、茎をのばして、花が咲くのを水やりしながら待っている。
愛するっていうことは、その人をいじりたおして、
構い倒して、抱きしめ続けることではなくて。
耳に優しい甘い言葉を言い続け、要求をすべてのむものでもなく
言わなくたって、わかってるよ。と、先回りして何かを差し出すのでもなく
ずーっと一緒に居続けることでもない。
その人が為すことを見守って、
その人が為すことが、意に沿わないからじゃなく、
その人にとって、危険だったり、するときにだけ口をはさんで
必要とされたときに、そばにいたり、声をかけたり、抱きしめたりして
その人から、自由を奪わずに、自分の自由も奪わせずにいること。
春になったら花開く。
それを、待てるっていうことが、愛なのかなと。
まだまだ、理解は浅いんだけれど
そうかなって思ったこの年末年始です。
だから、とっても穏やかな年明けを過ごしています。
しみじみ、うれしい毎日です。
2018-01-04 15:15
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