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私にはその価値があるから [ヨガのこころ]

先週末に夫と国華園という園芸屋さんへ行って
お茶の木、ジャスミン、マリーゴールド、テッセン、日々草、デイジー、
カモミール、チェリーセージ、カラミント、ドーンバレータイム、ペニーロイヤルミント、
レモングラスを買い込んできて、
ずーっと雑草生え放題にしていた庭を耕して
前から植えてあったミニバラやアップルミント、ローズマリー、サギナ、ラムズイヤー
コスモス、ひまわりが元気に育っていることを確認したり
獅子唐が収穫できたり、オクラもいい具合に大きくなったり
手をかけたことで、庭が愛おしくなったりしているのですが、

私がやりなれないことをしたせいで雨が降り止まないのかもしれません。

今日、明日と家から車で30分の場所でヨガサークルのレッスンがあるので
警報がでないか、気になっています。無事にやれるといいな~。

さて、最近になって
「私にはその価値があるから」という言葉が自分の独り言の口癖になっています。
友達には「それはいいマントラだね」って言われましたが、実際にそう。

私にはその価値があるから、夫が留守で一人でいても野菜いっぱいの食事を作って食べる。
私には、その価値があるから掃除がスッキリされた部屋で過ごす。
本を読むのも、お風呂に入るのも、ヨガをするのも、PCを使うのも
テレビを見るのも、洗い物をするのも、洗濯物を干すのも、ミシンを使うのも
車を運転するのも、私には「快適に過ごす」価値があるから!!

それと、同じく人もそれぞれ価値がある。
身近な夫も、友人もヨガでながっている人たちも
みんなみんな「価値がある」んですよね。

自分の中に神があり、相手の中にも神がある。
互いの神を尊重するのがヨガのこころ、と教えていただいていたのですが、

最近になって、それがすーっと自分に馴染んできました。

それと同時に、口癖だった「面倒くさい」が減りました。
たぶん、最近は言ってない。

「面倒くさい」っていうのは、自分にはそれをする価値がないのだと、
言っているのと等しかったのかもしれません。

ずーっと、面倒くさいといっている間、その手間をかけるのが惜しいほどの価値でしかないと
自分の価値を小さく、低く評価していたように今は思えます。

夫がいないときは、料理するのも面倒くさい。
って、言い換えれば自分自身においしいものを食べさせる価値はないっていうこと。

掃除しなくてもほこりでは病気になりません。掃除面倒って言ってるのは
ホコリだらけの部屋に住むほどの価値しかない私ですって言ってるようなもの。

私自身が、自分のことを虐げてきたようです。
かわいそうな扱いをしてきたんだな~。

もっともっと、私の価値を認めて、大事にしたいなと今は思っています。
それは、周りの人のことも大事にしたいなということでもあります。

生きてるって面白いですね。
どうも、私は皮を一枚脱皮しかけているようです。

蝶になるのか、また一回り大きい芋虫になるのか
わかりませんが、心の成長を今感じています。

今日の今がとても「いい」と思えて
日々是好日がすーっと力まずに感じられています。
そんな今日に感謝です。

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